教室紹介

高度化する脳神経外科領域において、最先端かつ全人的治療を

九州大学大学院医学研究院 脳神経外科
教授 吉本 幸司

九州大学脳神経外科教室は、1966年(昭和41年)に開講された日本で歴史がある脳神経外科教室の一つです。初代教授北村勝俊先生が教室の基礎を作られ、第2代教授福井仁士先生、第3代教授佐々木富男先生、第4代教授飯原弘二先生と引き継がれ発展してきました。2021年7月1日付で私が第5代教授に就任致しました。
九州大学における脳神経診療の歴史は、九州大学の前身である京都帝国大学福岡医科大学時代に遡ります。当時の第一外科三宅速教授が1905年に日本で初めて脳腫瘍摘出術を成功させたという記録が残っています。したがって九州大学での脳神経外科診療の歴史は100年以上になります。脳神経外科教室開講後は、これまでに200人以上の脳神経外科医を輩出してきました。現在でも脳腫瘍、脳血管障害、機能脳神経外科などの脳神経外科すべての領域にわたり、それぞれの領域の専門医により診療を行っています。
脳腫瘍に関しては、手術中の電気生理学的モニタリングやニューロナビゲーションを利用し、脳機能を温存しながら最大限の摘出を行っています。また言語機能の関連する領域に腫瘍が存在する場合は覚醒下手術を行っています。悪性腫瘍については、ゲノム解析を積極的に行い、九州で唯一のがんゲノム医療中核拠点病院である九大病院だからこそできるゲノム医療を目指しています。また下垂体領域など頭蓋底腫瘍に対しては、経鼻的内視鏡手術による摘出術を行っています。脳血管障害については、開頭手術はもちろんですが、コイルやその他のデバイスを用いた血管内手術のエキスパートによる治療もいつでも行える体制にあります。比較的症例が少ないもやもや病についても当院での治療経験は豊富です。機能脳神経外科領域では、難治性てんかん患者に対する治療を積極的に行っており、症例も増加してきています。これらの疾患を診療するために、脳神経外科一般の外来以外に、特殊外来として、もやもや病外来、間脳下垂体外来の診察も受け付けています。詳細は本ホームページをご覧ください。
医学の進歩と医療技術・機器の発展によって、近年は脳神経外科領域も高度に細分化されてきました。九州大学脳神経外科教室は、各領域のエキスパートによる最先端でベストな治療を提供していくのはもちろんですが、総合的人間学の実践である全人的治療を目指しています。また、医学研究の推進なくしては、医療の発展はありません。研究面でも更なる充実を目指し、次世代を牽引するacademic neurosurgeonを養成することも目標としています。
皆様のご指導、ご支援をどうぞよろしくお願い致します。

脳神経外科の歴史

源流について

九州大学脳神経外科は1966年(昭和41年)に創立され、2016年(平成28年)に創立50周年を迎えたが、その源流はさらに古く、旧帝国大学時代にまでさかのぼる。1903年(明治36年)3月、京都帝国大学福岡医科大学(後の九州大学医学部)が福岡に設置され、1904年(明治37年)9月に第一外科に三宅速が初代教授として就任した。教授着任から1年後の1905年(明治38年)、三宅は我が国で初めての脳腫瘍摘出手術を成功させ、その成果を「左腦皮質運動中樞ニに於ケル『グリヲーム』ノ抽出ニ就テ」として報告している。我が国で最初の開頭腫瘍摘出術の記録である。脳手術だけでなく、脊髄外科についても先駆者であった三宅は、1911年(明治44年)、我が国で初めての脊髄腫瘍摘出手術を執刀、「脊髄腫瘍ノ外科的手術例ニ就テ」として発表した。続いて、1927年(昭和2年)に第一外科第二代教授として就任した赤岩八郎も積極的に脳神経外科手術を推進し、1943年(昭和6年)、我が国初の脳肺吸虫症の手術例、剖検所見を詳細に報告している(「肺『ヂストマ』蟲ノ大腦寄生ニ因スル腦腫瘍症状ヲ呈セシ一症例ニ就テ」)。さらに赤岩の後をうけて、1941年(昭和16年)に第一外科第三代教授に就任した石山福二郎は、てんかんに対する脳梁切截術の研究などさらに広範な脳研究を進めた。この後、第二次世界大戦の影響で九州大学第一外科教室は大きな混迷を経験したが、1947年(昭和21年)初代教授の子息である三宅博を第四代教授として迎え、漸く本格的な立て直しに入った。そして九州大学脳神経外科の誕生へと繋がっていくこととなる。

三宅速による本邦初の脳腫瘍摘出術論文

創設

九州大学において脳神経外科の専門性が確立したのは昭和23年、当時の九州大学第一外科の教授であった三宅博が同副手の北村勝俊と古川哲二(元九州大学麻酔科初代教授、佐賀医科大学初代学長)に脳神経外科診療への専従を命じたことに始まる。北村は古川と共に当時京都大学第一外科教授であった荒木千里の元を尋ね、多くの脳神経外科手術や臨床を見学、当時の最先端の脳神経外科学を九州大学へと持ち帰った。その後、古川の米国留学に伴い、北村は脳神経外科領域を一人で負うこととなったが、九州大学における脳神経外科の幕開けを目指して奮励努力した。北村の熱意に魅せられて脳神経外科を専攻しようとする若者が次々と加わり、いつしか大きな脳神経外科研究グループ(通称ドタマ組)が出来上がった。当時在籍していた若者たちのなかには、松角康彦(熊本大学脳神経外科初代教授)、朝長正道(福岡大学脳神経外科初代教授)、木下和夫(宮崎医科大学脳神経外科初代教授)、米増祐吉(旭川医科大学脳神経外科初代教授)などがいた。一方で同時期には九州大学第二外科でも脳神経外科手術が進められており、陣内伝之助(岡山大学外科教授、大阪大学外科教授、近畿大学外科教授、第16回日本脳神経外科学会学術総会会長)、光野孝雄(岩手医科大学外科教授、神戸大学外科教授、第23回日本脳神経外科学会学術総会会長)、金谷春之(岩手医科大学外科教授、第48回日本脳神経外科学会学術総会会長)を輩出している。北村は1957年(昭和32年)Montreal Neurological Institute(MNI)に留学、Theodore Rasmussen、Wilder Penfield、William Coneの元で脳神経外科学を学んだ。そして帰国後、九州大学における脳神経外科教室の創立に向けて本格的に進み出すこととなる。
九州大学に脳神経外科が開設されたのは1966年(昭和41年)4月1日であり、第一外科講師であった北村が初代教授に就任した。さらに同年8月には九州大学付属病院診療科として脳神経外科が診療を開始した。順調に診療・研究を開始したかに見えたが、1968年(昭和43年)の激しい大学紛争の影響により大きな打撃を受けた。北村は1971年(昭和46年)から2年間、九州大学付属病院長を任じられたが、留学時代の恩師であるPenfield教授は、当時の北村に対して「大学は社会機構の中でもっとも強靭なものであり、我々が政治に巻き込まれず真理を追求する限り、大学は存続し、世の中に対する本来の使命を持ち続けるでしょう」と励ましたという。
日本の脳神経外科学発展の歴史においても、北村の貢献は大きい。北村は日本脳神経外科学の進歩・発展には、優れた脳神経外科医の養成が不可欠と考え、他の脳神経外科教授(当時の日本の脳神経外科教授は14名であった)とともに日本脳神経外科学会認定制度を発足させた。北村はそのなかで中心的な役割を果たし、長年に渡って認定医認定委員長を務め、後進の育成に尽力した。

第1回九州大学脳神経外科開講記念会

発展と飛躍

1986年(昭和61年)8月、当時の九州大学助教授であった福井仁士が第二代教授に昇任した。福井が教授として在籍した時代は、顕微鏡手術や頭蓋底外科手術が目覚ましい進歩を遂げた時期であり、また、ガンマナイフや血管内外科、神経内視鏡など非侵襲的な治療法により、脳神経外科診療が大きく動き始めた時期であった。福井は主に脳腫瘍の研究を推進し、日本の脳腫瘍研究の一大流派を築いた。また、University of FloridaのAlbert Rhoton Jr.のもとに多くの教室員を留学させ、日本のみならず、世界で、脳神経外科領域における微小解剖の知識の普及に貢献した。福井が発足させた微小脳神経外科解剖セミナーは現在に至るまで毎年開催されている。
2002年(平成14年)4月に第三代教授として、当時群馬大学脳神経外科教授であった佐々木富男が就任した。佐々木は出身大学である東京大学や前任地の群馬大学において脳動静脈奇形や聴神経腫瘍を中心とした頭蓋底手術などの高難易度手術に取り組み、九州大学においても精密で安全な手術を追求し、技術の普及に尽力した。その卓越した手術技術のエッセンスはJournal of Neurosurgery誌などの一流誌に複数掲載されている他、医学書院より刊行された「聴神経腫瘍-Leading ExpertによるGraphic Textbook-」に凝縮されている。
2013年(平成25年)10月、第四代教授として、国立循環器病研究センター脳神経外科部長であった飯原弘二が就任した。飯原は九州大学の伝統であった脳腫瘍の臨床・研究の継承に加えて、脳血管障害という新たな風を吹き込んだ。飯原は高難度血管障害の直達手術及びカテーテルを用いた血管内治療の両方を執刀する「Hybrid Neurosurgeon」の先駆けであり、血管内治療を含む九州大学の脳血管障害診療の発展に大きく貢献した。また、ビッグデータの解析による医療の「可視化」を通して、日本の脳卒中診療の現状と課題を浮き彫りにし、救急医療を含めた脳卒中診療の環境整備に注力した。
2021年(令和3年)7月に第五代教授として、当時鹿児島大学脳神経外科教授であった吉本幸司が就任した。吉本は脳腫瘍に対する頭蓋底手術や内視鏡手術を専門とし、治療困難な頭蓋底腫瘍や間脳下垂体腫瘍の診療に取り組んでいる。また脳腫瘍をはじめとした医学研究を積極的に推進し、次世代を牽引するacademic neurosurgeonの育成に注力している。
九州大学脳神経外科は教室開講より50年が過ぎ、200人を超えようとする脳神経外科医を育成し、世に輩出している。次の50年、100年に向けて歴史の継承、次世代の育成を通じて社会に大いに貢献し続けていきたい。