研修医・学生の方へ

九州大学大学院医学研究院脳神経外科教室からは、国内外の施設に臨床・研究両面で留学生を輩出しております。
最近の留学先は下記の通りになります。

  • Department of Neurological Surgery, University of California, San Francisco, United States of America
  • 京都大学iPS細胞研究所 臨床応用部門 神経再生研究分野
  • Department of Neurosurgery at the University of Florida, Dr. Albert L. Rhoton Neuro-Microanatomy Lab, United States of America
  • Massachusetts General Hospital and Harvard Medical School, United States of America

留学体験記

波多江先生、土持先生、松尾先生の留学体験記を紹介いたします。

波多江 龍亮先生

[留学先]
カリフォルニア大学サンフランシスコ校

私は2020年9月からカリフォルニア大学サンフランシスコ校 (UCSF) に留学しています。渡米して約2年が経過しましたので、留学の経緯や現状をご報告します。留学を考えられている若い先生方や学生の皆さんの参考になれば幸いです。

海外留学にいたるまで
Dr. Okada (中央)と吉本教授(右)とともに

私は2009年に九州大学脳神経外科に入局後、脳外科医としての研修を経て、卒後6年目の2012年に大学院に入学しました。大学院での研究テーマは脳腫瘍の遺伝子解析でしたが、刷新的な治療の研究に携わりたいと考えるようになり、2016年より3年3ヶ月、京都大学免疫ゲノム医学で本庶佑教授のもと博士研究員として免疫治療の研究をしました。免疫治療を一から勉強し、エネルギー代謝の視点から免疫治療PD-1抗体のガン患者さんにおけるバイオマーカーの開発や、PD-1抗体の効果を増強する薬の研究を行いました。2019年より九州大学病院に異動し脳腫瘍の患者さんを担当しましたが、改めて脳腫瘍の予後の悪さと患者さんの苦しみに触れ、脳腫瘍に対する免疫治療の研究を進めたいという気持ちが大きくなりました。しかし頭蓋内の免疫環境は特殊であり、自らの知識不足や技術不足に悩んでいたところ、九州大学脳神経外科医局の先生方より海外留学のお許しをいただきました。脳腫瘍免疫治療研究の第一人者であるUCSFのDr. Hideho Okadaに連絡をとり、運良くOkada Labに博士研究員として受け入れてもらえることになりました。

研究生活について
ラボがあるMission BayのUCSF Helen Diller Family Comprehensive Cancer Center。向かいにUberのオフィスがある

UCSFは北カリフォルニアのサンフランシスコに位置する州立大学です。UCLAやUC Berkeleyで有名なカリフォルニア大学群の一校であり、主に医学を専門とした大学院大学です。UCSF脳腫瘍研究センターには、Gliomaの治療・研究で高名なDr. Mitchel Bergerをはじめ大御所から新進気鋭の研究者が多く所属しており、同僚がSNO (アメリカ脳腫瘍学会) のall star teamと表現しているのも頷けます。UCSF はサンフランシスコ市内外に大小のキャンパスを持ちますが、主なものは150年前からあるParnassusキャンパスと、2003年に湾岸地区再開発により生まれたMission Bayキャンパスの2つです。私が所属するOkada LabはMission Bayキャンパス内にあり、徒歩圏内にMLBジャイアンツのOracle parkやNBAウォーリアーズのChase center、UberやDropboxなど有名企業のオフィスがあります。

UCSFには、この「Dreamcatcher」をはじめ
多くのモニュメントがある

所属研究室を主宰するDr. Okadaはこれまで25 年にわたりアメリカで脳腫瘍免疫治療の基礎研究、橋渡し研究、臨床研究を牽引してきたパイオニアです(1996–2014 Pittsburgh university、2014– UCSF)。Okada Labでは多岐にわたるアプローチで脳腫瘍に対する免疫治療の研究を行っており、私はエネルギー代謝からの視点で脳腫瘍に対する免疫治療の研究に取り組んでいます。研究室には、2022年10月現在でシニア研究員1名、ポスドク研究員6名を含む約20人が在籍しています。PhD研究者や、アメリカ人医師、ドイツ人医師、MDやPhDコース受験を控える研究補佐員など多彩なメンバー構成です。私以外に2人の日本人脳外科医メンバーも在籍しており、日本とアメリカの医療システムの相違点も話題にあがります。平日は8時には出勤しディスカッションや実験をしています。夜まで実験が必要な日もありますが、自宅がキャンパス内にあるため、食事は家でとっています。渡米後暫くはCOVID-19の制限があり、同時に数人までしかラボで実験ができなかった為、早朝や週末にまとめて実験を行う等の工夫をしていました。共用の実験機器は早朝や週末の方が予約をとりやすい為、制限がなくなった現在も長い実験をするときには早朝や週末を利用しています。

研究室全体でのミーティングが週に1回あり、メンバーが順番で研究内容についてのプレゼンをします。Dr. Okadaとの個人ミーティングも週に1度あり、研究の進捗状況や今後の展望についてスライドにまとめて話し合います。毎週であるためネガティヴなデータしか話題がないことも多いのですが、Dr. Okadaは私の拙い英語を辛抱強く聞いて、前向きな助言をくれます。その他に、プロジェクト毎のミーティングやコラボレーション先とのミーティングが隔週であります。ミーティングがあることにより良い緊張感をもって日々の実験に取り組むことができます。

研究室外での生活について
カリフォルニアは晴れる日が多い

マーク・トウェインが”The coldest winter I ever spent was a summer in San Francisco”と表現したとされているように、サンフランシスコの夏はカリフォルニアのイメージに反して寒いです。夏の間、車で15分どの方角に行っても30-40℃の気温になるのにサンフランシスコに戻ると最高20℃と上着を来ても肌寒い程です。これは海流の影響とのことですが、暑さが苦手な私は過ごしやすく感じています。一方で冬でも10℃を下回ることはほとんどなく、年間通じてほぼ同じ服装をしています。近所に美味しいレストランが多いだけでなく、アジア人が多いため日本食スーパーやアジア系のスーパーがあり充実した食生活をおくることができていますが、物価が高いのが頭痛の種です。

アーチーズ国立公園に家族旅行

サンフランシスコにも観光名所は多いのですが、少し足をのばせばナパやモントレー、ヨセミテ国立公園などの魅力的な場所があり、時間があるときは家族で小旅行を楽しんでいます。また隣町のオークランドの球場に大谷選手の活躍を観に行くのも楽しみです。

アメリカは言葉を選ばずに表現するなら大雑把な国で、日本に比べると不便に感じることが多いです。渡米時はCOVID-19規制で様々な窓口が閉まっていたため、必要なことを電話でやりとりすることが多かったのですが、1件の用事をすますのに数十分かかることも稀ではありませんでした(インターネットやメールで用事が済むのは稀でした)。ラボでも、隣で実験している同僚が長時間単調な音楽をきいていると思っていたら、それが電話の保留音であったことに驚いたこともありました。このような状況には未だ慣れることが出来ていませんが、覚悟は出来るようになりました。またUCSFには日本人の研究者が多く所属しており、数人の研究者とは家族ぐるみで仲良くしてもらっています。COVID-19規制下の2020年末に第二子が誕生した際に、UCSFの友人から親類のようなサポートを頂いたことは、とても感謝しています。日本を離れ不便な環境下で築く人との絆が、諸先輩方から教わっていた通り海外留学で得られる大切なものの一つだと実感しています。

終わりに

九州大学脳神経外科の先生方のおかげで、私は国内でも海外でも博士研究員を経験させていただきました。生活だけではなく研究においても、アメリカは日本と比べて不便なことが多い反面、ラボによるかもしれませんが自由が満ちています。しかし自由である故、自ら目的を持って学ばないと何も得られないという側面があります。留学を考えている若い世代には、海外に留学する目的を明確にすべく国内で研鑽してから海外へ飛び出して欲しいと思います。

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独立行政法人 国立病院機構 嬉野医療センター 土持 諒輔先生

[留学先]
京都大学iPS細胞研究所 臨床応用部門 神経再生研究分野 高橋淳研究室(以下高橋淳研究室)

平成21年卒の土持諒輔です。私は平成30年4月から令和4年3月の4年間に渡り京都大学iPS細胞研究所(以下Cira) 臨床応用部門 神経再生研究分野 高橋淳研究室(以下高橋淳研究室)で国内留学させていただきました。その時の経験をご報告させていただきます。

留学までの経緯

私は平成21年九州大学脳神経外科入局後、大学病院および関連病院での勤務を経て、卒後9年目の平成29年に大学院へ入学いたしました。当初は大学院での研究生活についてイメージが湧かず、自分が何をしたいのかもはっきりしておりませんでしたが、先に高橋淳研究室で留学をされていた下川能史先生とお話をするうちに研究内容に興味を持ったこと、元々京都での生活に憧れを持っていたことも相成って、留学するに至りました。

研究生活について
髙橋淳教授と教授室で

高橋淳研究室は、ご周知のとおりパーキンソン病に対する細胞移植治療の分野で世界的にも大変ご高名な高橋淳教授が主宰する研究室で、現在約30名の研究員が所属しています。平成30年10月に、ヒトiPS細胞を用いたパーキンソン病への細胞移植治療の医師主導治験第一例目の患者さんの手術の際は私も研究室に在籍しており、歴史的瞬間に居合わせることができたのは本当に幸運でした。

髙橋淳研究室は、脳卒中などの損傷脳に対する細胞移植治療の確立も目標としており、私は主にこの研究に携わりました。細胞移植では移植する細胞の質ももちろん大事ですが、移植を受けるホスト側の脳の環境も重要と考えられます。私はこの点に着目して研究を行い、あらかじめ移植を受けるホスト脳に軸索の伸長を促進する因子を発現する遺伝子を導入することで移植効果を高めることに成功しました。

髙橋淳研究室では週に1回各人が実験の進捗状況をスライドで発表するカンファレンスがあり、毎週コンスタントに結果ないしは何らかの進展を求められます。また、3ヶ月に1度持ち回りで、自分のこれまでの研究成果を研究室全員の前で発表する機会があります。論文形式でまとめて発表するため準備が大変でしたが、とても勉強になりました。さらに、1年に1度Cira全研究室の研究員の前でのプレゼンテーションがあります。こちらは発表・質疑応答全て英語で、しかも大人数の前で行うため、かなりのプレッシャーがありましたが、それだけに乗り越えた後の達成感は格別でした。また他の研究室の方から予想もしなかったようなご指摘をいただくことができ、研究に対する考え方が深まりました。個人的には苦手だった英語の学習が進んだことも大きな収穫でした。また、ポスターではありましたが、国際学会であるInternational Society for Stem Cell Researchで発表させていただいたのも大変貴重な経験でした。

研究室にいる時間は実験の進み具合により多少変わりますが、思い返せば外勤の時間以外は基本的には朝から夜中まで夢中で研究していました。これ以上ないと思うほど自分を追い込んで全力でぶつかった気がしますが、我ながらよく気力体力が持ったな、と今でも不思議に思います。

研究室外での生活について

研究以外の時間は姫路、西明石、大阪(当大学関連病院であります馬場記念病院を含みます)、で非常勤勤務しました。どの病院もそれぞれに特色がありながらアクティブで、これまで積み上げてきた臨床力の実践としてはもちろん、脳梗塞急性期の血栓回収や脊髄疾患など、自分がこれまで何となく苦手としていた分野に向き合うとてもいい機会になりました。熟達した先生方の開頭の手術に立ち会うことも多く、臨床に戻った今も手術の際に参考にさせていただいています。

こころのオアシス、鴨川

憧れだった京都生活ですが、たまの休みの日は、生活用品を買うために、大体イオンモールかコストコにいました(九州にいるときと変わりません)。いわゆる観光名所へはあまり行けませんでしたが、自宅と研究室の往復だけであっても四季折々の美しい風情は忙しい研究生活の貴重な癒しでした。研究で行き詰まった時や落ち込んだ時は研究室があるキャンパスのすぐ西を流れる鴨川沿いをよく歩きました。何度救われたか分かりません。

また、先輩である下川先生、京都大学免疫ゲノム医学の研究室に留学されていた波多江龍亮先生をはじめ、京都で知り合った先生方とは家族ぐるみでよくしていただきました。研究室のメンバーとは今も連絡を取り合い、近況を語り合っています。

終わりに

自分を取り巻く環境がガラリと変わり、慣れない研究生活で肉体的にも精神的にもかなり自分を追い込んだ4年間でした。それだけに非常に充実しており、自分自身を見直し、鍛えることができました。このような貴重な機会を与えてくださった医局の先生方、研究生活のサポートをしてくれた家族への感謝の気持ちを忘れずに、この経験をこれからの医師としての研鑽に活かしていきたいと思います。

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松尾 諭先生

[留学先]
フロリダ大学脳神経外科 微小解剖研究室

私は2014年7月から2015年12月までの1年半の間、アメリカ合衆国、フロリダ州にあります、フロリダ大学脳神経外科 微小解剖研究室 (Rhoton lab)にリサーチフェローとして研究留学させて頂きました。今回は留学先での研究生活の様子や、留学したことで得られた経験を報告させていただきたいと思います。留学を少しでも考えられている若い先生方の参考になれば幸いです。

留学までの経緯

2005年に九州大学脳神経外科に入局後、大学病院および関連病院での研修を経て、卒後6年目に大学院に進学しました。研究テーマはくも膜下出血後の脳血管における脳血管攣縮の遺伝子解析でした。もともと将来は留学をしてみたいという気持ちがありましたが、慣れない研究生活に日々に取り組んでいるうちに、徐々にその情熱も薄れていきました。そんな時、研修医時代からの友人が、Rhoton labに留学し、留学先での研究生活の様子を聞いているうちに、どうしても留学がしたいと思うようになりました。大学院が終了する少し前の教授面談の際に、思い切って相談させていただいたところ、家族みんなで楽しんできなさい、とのお言葉を頂き、Rhoton labに留学させていただく事になりました。留学の機会を与えてくださった飯原教授、留学する上で何かと御指導いただいた松島教授(前佐賀大学脳神経外科教授)、また年度途中の異動にもかかわらず温かく送り出してくださった医局の皆さまには本当に感謝申し上げます。

研修について
フロリダ大学フットボールチームの試合

フロリダ大学はフロリダ州のゲインズビルという田舎町に位置する州立大学です。フロリダ大学といえば、スポーツドリンク‘ゲータレード’が、フロリダ大学の研究者によって開発されたことでご存じの方もおられるかもしれません。全米でも有数の規模を誇るフロリダ大学の広大なキャンパス(キャンパス内には9万人収容可能なフットボールスタジアムや、ゴルフコースなどがあります)の一角にRhoton labはあります。脳神経外科微小解剖研究においては約40年にわたりこの分野をリードしており、日本、トルコ、ブラジルをはじめ多くの国からリサーチフェローが集まってきています。ボスであるRhoton先生は、この分野の第一人者であり、脳外科医であれば知らない人はいないと言われるほど、著名な脳外科医です。80歳を過ぎてもほぼ毎日、研究室に来られフェローの解剖を指導されていました。研究室の研究テーマは脳の微小解剖全般で、フェロー各々が興味ある領域の解剖に取り組んでいました。Rhoton先生は、フェローが興味を持ってやりたいことは尊重されていて、毎日写真を見せてはアドバイスを頂くという流れで日々の解剖は進んでいきました。

研究室は世界各国からのフェローで構成されており、当初、日本人は私含め3人、トルコ人2名、中国人1名でした。英語がまともに話せず、ヒアリングも十分にできない私でしたが、Rhoton先生や、研究室スタッフは優しく接して下さり、研究室内ではそれほどストレスを感じることはなく研究生活を送ることが出来ました。

Rhoton labでは過去のフェローが学会のついでに立ち寄られたり、地元の中高生へ神経解剖のデモンストレーションがあったり、医療機器メーカーのCEOが訪問されたりしました。過去のフェローが来られるとカンファレンスルームで様々な手術症例を提示してくださり、Rhoton labでの研究生活があったからこそこんな手術ができるようになったと誇らしげに言われていました。また、アメリカの中高生は屍体標本を観察するのに全く抵抗なく、こちらがつたない英語で説明すると、脳に関する様々なことについて目を輝かせながら質問していたのはとても印象的でした。

Rhoton先生宅でのフェローの送別会

日々の生活は、朝6時頃に出勤し、大体18時頃には帰宅するようにしていました。私は、家族(妻、息子1歳)と共に留学しましたので、家族との時間もできるだけ取るように心がけていました。仕事が進まない時は夕食後にまたラボに戻ったりもしていました。6時半ごろから解剖を始め、11時頃にRhoton先生がラボに来られてカンファレンスがありました。毎朝、フェロー全員の進行具合をチェックされアドバイスをされるのですが、脳という領域が限りなく広く、限りなく複雑であるということを日々実感させられました。昼食時は、たいていフェローみんなで集まって解剖の進み具合や、週末の予定等を話しながらとっていました。時にはみんなで夕食を食べに行ったりもしました。日々のスケジュールの管理は個人の自由でしたが、フェローはどこのラボにも負けない綺麗な解剖写真をとり、ジャーナルに論文をのせるということに関して、貪欲であり、常に高いモチベーションをもって仕事をしていました。

渡米直後、漠然としかやりたいことを説明できず不安で仕方なかったですが、モチベーションの高いフェローに囲まれ、温かく接してもらいとても楽しく研究をすすめることができました。彼らとは帰国後も連絡を取り合い、‘いつか国際学会で会おう’を合言葉にお互い励まし合いながら頑張っています。

米国での生活について

フロリダは年間を通して温暖で、夏は暑いですが、日本と比べて湿度が低いせいか非常に過ごしやすい所でした。車で南に2時間ほど行くとDisney Worldのあるオーランドや、スペースシャトルの発射台があるKennedy Space Centerがあります。また、CMや映画で有名なセブンマイルブリッジや、アメリカ本土最南端のキーウェスト, イチロー選手が移籍したMiami Marlinsの本拠地であるマイアミなどもあります。研究の合間には、少し休みを頂き、フロリダ半島南半分を車で旅行したり、日本からは長期休暇でしか行けないような美しいカリブ海が広がるメキシコのビーチに足を伸ばしたりして、家族で余暇を楽しみました。

フロリダ大学のあるゲインズビルは田舎町ではありますが、日本から沢山の医師や研究者、学生が来られ活躍されていました。私が留学していた期間にも何人かの日本人医師(脳神経外科医、整形外科医、耳鼻科医、小児科医、内科医)が研究や臨床に従事されており、時々集まっては情報交換したり、ゴルフをしたり、また家族ぐるみで旅行に行ったりしました。また、分野の全く異なる研究者の方とも交流を深めることが出来ました。留学中に知り合った方々とは、今でも連絡を取り合ったりしています。留学中に親しくさせていただいた方々の多くは非常にモチベーションが高く、とてもいい刺激になりました。大学や専門に関係なく、様々な背景の方々と交流を深められるのは留学の一つの醍醐味だと思いました。

終わりに

1年半の留学期間はあっと言う間でした。私の人生にとって、今後のキャリアを設計していく上で非常に有意義な経験であったと思います。同年代の海外の脳外科医の友人と切磋琢磨して過ごせたということは医師/研究者としてだけではなく、一人の人間としても多くのことを学びました。海外で生活するということは楽しいことばかりではなく、何をするにも大変なことの連続でしたが、留学先で知り合った方々に助けられながら無事に留学生活を送ることが出来ました。

Rhoton先生から修了証授与

毎日が刺激的で研究に専念でき、また、余暇には家族で異国の文化を満喫するということは何者にも代え難い貴重な財産になると思います。留学を少しでも考えている若い方々には、後悔しないように是非躊躇せず飛び出していただきたいと思います。
最後になりましたがRhoton先生は2016年2月21日に83歳で亡くなられました。微小解剖の第一人者であり、脳神経外科の一時代を築いたRhoton先生の下で研究生活を送ることができたことは誇りに思います。Rhoton先生の所で学んだことを少しでも日常臨床につなげていけるように日々努力していきたいと思います。

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